国民待望の講和条約が1952年に発効された。
その4月20日から4日間、日本JCは東京において第2回JCIアジア地区会議を主催した。
この会議は日本で開かれる国際会議の最初の試みであった。
とにかく、創立1年2ヶ月にして国際会議を開催するなどということは、冒険といえば冒険であった。
現に、その前年の10月、JCIアジア地区担当副会頭ヴィラヌーヴァ(フィリピン)から「もし日本が第2回の開催地として正式の申し出を行えば、日本以外のJCから全員一致の支持を受けるだろう」という主旨の書簡があったとき、その開催についてかなり議論が戦わされた。第2代会頭の小坂は受諾を固めた。
会議にはJCIのバグスレー会頭はじめアジア各地から31名が来日し、日本JCからは311名が参加した。
幸いに、東商はじめ政・財界からのバックアップ、各報道機関の応援が得られ、会議は予想以上の成果をあげた。
今日からみれば、実に小規模な国際会議であるが、とにかく日本では最初の国際会議だったのであり、当時としては大成功といってよかった。 |